治療導入と治療契約

 治療契約と治療同盟は一対のものであり、かつ破られやすいものである。むしろ両者は治療の前提ではなく、目標の1つなのである。それでもなぜこうした契約や同盟を結ぶ必要があるのかという理由は、逸脱行動や対人操作、激しい感情表出、不安定な対人関係、治療者に対する価値下げなどによって治療構造の破壊が起こりやすいこと、そしてこうした治療契約を守ろうとし、治療のために協力しあうということ自体がすでに治療的だからである。
 治療契約とは治療を進める上で患者が守るべき約束事であり、完全予約制を守ること(気ままに来院しないこと)、行動化を抑えること(具体的には自傷行為や万引き、自殺企図などを禁じることを告げる)、入院にあたっては病院や病棟の規則の遵守などである。とくに主治医の許可を得ない外出や外泊、夜間や面接日以外の面接要求、処方された以外の眠剤等の要求などはあらかじめ禁じておくべきである。こうした約束を勝手に破るときには、「治療を止めるか隔離室へ入るか」どちらかを選択してもらうことなどを治療の初めに明確に伝えておくことが重要である。他方、患者に対する治療者側の契約は「嘘をつかないこと」「治療を誠実に行うこと」、「決して見捨てないこと」ということが暗々裏に含まれることになろう。「こうしたことを守ってくれる限り、私は誠実にあなたを治療し、私の方からあなたを見捨てることは絶対にありません」という言葉を治療者の覚悟を持って伝えるのも1つの方法である。

 治療同盟とは患者と治療者が治療を目指して作業を共同して行うことがいうが、治療の目標は病理的な自我の働きを修正し、健康な自我を獲得してゆくことであり、その作業には患者の苦痛が伴うこともあらかじめ告げておいた方がよい。
 BPDの患者は気味が悪いほど治療者の感情を見抜く。治療にあたっては治療者の「覚悟」が必要であり、逃げ腰の治療は早晩失敗に終わる。また容易に逆転移が起こるので、患者に入れあげるような接触は避けなければならない。距離と暖かさは両立しがたいが、初期治療では患者を受入ながら適切な距離を維持しなければならない。
 治療の初期には受容的で暖かな関係づくりを目指すべきである。患者の持つ痛みに共感を持って話に聞き入る力がある精神科医ならば、初期の関係づくりには困難はないだろう。
 言うまでもないが、患者との個人的な関係を持つこと(たとえばせがまれて食事をするとか、喫茶店で会うとか)は応じてはならない。また、電話での話は一切断るべきである。「電話では治せないからね。お話は診察の時に」と断固応じないことが重要である。

外来治療か入院治療か

 BPDの治療は長期間にわたることが多いため原則として外来で行う。入院治療はいくつかの条件下では有用である。患者の行動化によって家族のシステムが破壊されているとき、行動化が著しく破壊的であるとき(たとえば自殺企図が頻発するなど)、家族を含めたこれまでの環境から分離した方がよいと判断されたときなどである。
 病棟スタッフ間の患者からの操作とスタッフのスプリッティングによる混乱は治療を困難にさせる。BPD患者が入院したら、スタッフが下記のシフトを直ちに引くことで病棟空間全体に「良き入れ物」としての機能を持たせる。

1)なにかしてあげてはならない。
2)医師の指示以外のことを行ってはならない。
3)話を聞いてあげてもよいが、患者に入れあげない。
4)他のスタッフに対する批判を真に受けない。患者の話を真に受けない。
自分に対する陰性感情は「症状」の1つと割り切ること。
5)起こしたことの責任を患者自身に引き受けさせること。
6)大丈夫と言ってあげること。
7)スタッフ同士、互いに情報を綿密に交換する。
8)自殺企図などの深刻な行動化が起こっていても、過剰反応しない。たじろがない。
9)患者の冗談やユーモアの才能を引き出すこと。
10)待つこと、我慢させることが治療の力になる。

 家族は治療を同意しているが、本人が治療動機をもたない場合は微妙な問題である。自傷他害の可能性が極めて高いケースでない場合は医療保護入院の適応だが、そうでなければ強制的な入院治療は治療効果が期待できないので「本人自身が困るまで」治療は断った方がよいかもしれない。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」。ただし、治療に対して拒否的な患者でも、多くの場合には内心ではどうにもならない事態に自分が陥っていることを知っており、親に無理に連れてこられたことに抵抗しているのである。そうしたときには「本当は自分の感情をどうしてよいか、落ち込んでしまった穴からどうやって這い出せるのか、自分の無力感や空虚感をどうしたらよいか、どうしたら人間関係がうまくゆくのか悩んでいるのでしょう? あなたが自分の意志で治療を受けたいと思ったなら、いつでもいらっしゃい。私はいつでも待っています。」と言い添えておく。「この治療は家族のためにやるのではなく、あなたのためにやるつもりです。本当はあなたはどうしたらよいか苦しんでいるのではないですか」と告げると、治療を希望することが少なくない。

早期診断

 BPDは深刻な行動化、対人操作、治療者の逆転移などによって治療構造が破壊されやすいので、できるだけ早期に診断することが重要である。以下の点に気がついたときには、BPDの可能性を検討する。(抑うつ症状は絶望、空虚感、孤立無援感、孤独感、憤怒、無力感が繰り返し経験されること、しかもそうした感情体験が多くは思春期から持続していることが特徴)



1)うつの病前性格メランコリー親和型ないし執着気質でないとき
2)他罰的、他責傾向が認められるとき
3)自殺企図に自傷行為(特に手首切り、薬物大量服薬)があるとき
4)抑うつ症状の表現に落ち込みと寂しさと空虚感と怒りが強調されるとき
5)家庭内暴力が認められるとき
6)抑うつ症状は短期間のことが多く、長くとも3週間以上は持続しないこと、ときに短期間の万能感や躁気分がみられるとき(双極性障害との誤診に気をつける)

境界例の治療はなぜ難しいのか

 境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の治療の困難さを説明するには、第1に受容的で支持的な精神療法に馴染まず、しばしば激しい治療者の逆転移やスタッフ間のスプリッティングを引き起こしがちであることをあげなければならない。BPDはそういう意味で感染症のような特性を持つ精神障害である。
 第2に本障害は薬物療法が奏功せず、日常のムンテラ程度の外来精神療法では通用しないことである。この病理を理解するには精神分析的な基礎知識が求められる。
 第3に、治療のゴールがどこにあるのか、どのようにしたら健康になるのかという道筋が見えにくいこともある。

境界性パーソナリティ障害 (市橋秀夫の論文を改変)

はじめに
境界性パーソナリティを疑うならば、不用意に主訴に対する薬物療法を開始する前に、30〜45分程度の診断面接を数回行う。親や伴侶から情報を得る必要のある場合には、本人の承諾を得る。

 診断面接で語られる情報が常に自己開示するものであると考えてはならない。むしろ、それを避けるほうが多い。患者自身、意識化していない、しかし観察者には手にとるようにわかる問題を把握する。そして、その問題を言葉によって定義して、患者に伝える。患者が無理なく同意する問題が潜在性(真)の主訴であるということになる。治療は真の主訴に連なって理解される精神病理に対するものである。

 治療契約について。診断名を告げる必要は必ずしもない。医師・患者間に交わされる合意的真実を共有して治療契約する。内容としては、面接時間、頻度、料金、キャンセルの取り扱い、プライバシーの守秘義務、限界設定を含む。
また治療効果の比較研究は行われていないのでわからないことや予後も説明する。いくつかの長期追跡研究はあるものの、その結果の通りになるか否かは、患者本人の意志と努力による部分も少なくないことも言い添える。

 たとえば診断面接によって、「自分で本当に納得のゆく自分になりたいと願っているが、自分一人ではそうなれないと思いこみ、絶望し、望みを持つことさえできないでいる」ことが合意的真実となったならば、本当に納得できる自分になっていくために、週1〜2回の個人精神療法を勧めてみる。
 治療者は受容的、共感的であることが最も問われる。しかしこのような態度を会得するのは、たやすいことではない。ことに境界型の患者は治療者をmanipulate(操作)する。これに乗せられて患者に迎合することを受容的、共感的であると勘違いすることは多いが、そうすることによって患者は一層退行して、問題行動を引き起こす。たとえば受容的・共感的であるとは、患者が痛いと訴えたときに、痛いんですねと返すことであって、痛みを取り除くことではない。また、患者が泣き暮れているときに、泣きたいんですねと返すのは受容的・共感的であるが、その涙に誘われて救世主役を引き受けることは、患者の前に全能の神として現れることではあっても、支持的・共感的ではない。

Personality障害

Cluster A
統合失調質(シゾイド) 喜怒哀楽に乏しく他人との交流が少ない(アスペルガーと関連)
統合失調型(シゾタイパル) 奇異な信念、奇妙な空想にふける。対人関係で過剰な不安
妄想性    不信感が強く疑い深い(前2者に比べストレスの影響を受けにくい)

Cluster B
境界性  感情不安定、衝動性強い。 対人関係、自己像が不安定
自己愛性 人に認められたい 誇大性 
演技性  情緒的、人の注意をひく
反社会性 他人の権利を侵害。違法行為を繰り返す

Cluster C
回避性 否定的評価に過敏 (社会不安障害と関連)
強迫性 完璧主義で融通にかけ柔軟性がない (強迫性障害と関連)
依存性 面倒をみてもらいたい


パーソナリティ障害は『性格の著しい偏りのために自分自身。あるいは社会が悩むもの』と定義される。外来を受診する境界型患者がパーソナリティ病理を悩んでいることは少ない。パーソナリティ病理と併存する大うつ病摂食障害解離性障害強迫性障害、その他の神経症性障害、アルコール依存、あるいは家庭内暴力などで受診する。

治療はパーソナリティ障害から2次的に生じる苦悩に焦点をあて、自我機能の健康な部分を引き出す。まず治療構造をしっかり設定する。可能なことの限界を示す。外来受診の間隔、面接時間などを患者としっかり話し合って決めておく。患者が約束を破った場合もどうするか決めておく。治療が成立しない場合、適応ではないことを告げることで、患者の健康な部分が引き出され自律性の感情が強くなるケースもある。

 境界性Personality障害(≒境界例)は最初は神経症圏と精神病圏(統合失調症圏)の境界という意味だったが、現在はPersonalityの病理のみを示す概念とされている。




DSM-Ⅳの全般的基準
その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターンがあり、それは以下の2つ以上の領域に表れる。(1認知 2 感情 3対人関係機能 4衝動コントロール
その持続的パターンには柔軟性がなく、個人的および社会的状況の幅広い範囲に広がっている。
その持続的パターンによって、臨床的に明らかな苦痛、または社会的、職業的もしくは他の重要な領域における機能障害を引き起こしている。
そのパターンは長期間安定して持続しており、その始まりは遅くとも青年期もしくは成人期早期までさかのぼることができる。
その持続パターンは、他の精神疾患の表れ、またはその結果では、説明されない。
その持続的パターンは、薬物(薬物乱用や投薬)の作用や一般身体疾患(例えば頭部外傷)の直接的な作用によるものではない。
言い換えると、
物事のとらえ方、考え方に偏りがあるか対人関係の取り方に偏りがある。または、衝動性のコントロールが不安定である。といった特徴がある。
これらの特徴が、環境が変わっても相手をする人物が変わっても変わることがない。つまり、状況に応じて考え方が変わったり、つきあい方が変わったりしない。
この為、精神科に相談に行かなければならないほどの、社会的職業的な問題(これは本人だけでなく、まわりも含めて)が起こっている。
二十歳以降、その偏りが変わっていない。
精神疾患によってそれらの特徴が起こったわけではない。
事故や薬によってそれらの特徴が起こったわけではない。

更にまとめると
パーソナリティ障害は、認知の仕方や感情の表し方、人間関係の取り方などに独特の偏りがあり、しかもその幅が狭く、また、その独特さや他の何らかの要因のため、失敗から学びうまく適応する方法を考え選択することができず、適応困難となっていると考えることができる。更に、衝動性のコントロールの不安定さが、その状態を強めていることもあり得る。ということは、治療というのは性格を治すのではなく、本人の持つ認知の問題や表現の問題を取り扱うこと、本質的には人が経験から学ぶことを援助すること
人間は多かれ少なかれ、何らかの偏りを持っている。あるいは人生の中の出来事により偏りが生じることもある。この偏りそれ自体は障害ではない。この偏りにより、社会生活を送ることが困難となり、様々な2次症状を示してくる場合、あるいは社会的な問題を示してくる場合、また、これらの2次的に起こった問題によりさらにその偏りが強化され固定される場合、これもまだパーソナリティ障害とはいわない。基本的には適応障害と考える。環境や人が変わったり状態が変化しても、相変わらず同様の問題が起こってくる。しかもその問題が同様に繰り返される場合、初めてパーソナリティ障害を疑う。

成田善弘「精神療法の失敗について」『季刊精神療法』1994年(『心と身体の精神療法』金剛出版、1996年、59-70頁所収)

・・・筆者も境界例の患者に自殺されたことはある。「自殺された」という言い方には治療者の被害観があらわれている。自殺は攻撃的意味をもつものである。
「死んでやる! 私が死んだら先生は一生後悔するだろう、後悔させてやる!」といわれたこともある。こんなときどう応じるべきか。筆者は根本的には人には死を選ぶ権利があると考えている。
もちろん「死ぬ」という患者は制止する。
「あなたに死んでもらおうと思って治療を引き受けているわけではない。死なれたら残念だし、死んでほしくない。しかしあなたが死ぬか生きるかを私がすべて左右できるとは思っていない。あなたに生を選んでほしいとは思うが」と応じたら、次の面接で彼は「ほかの先生は絶対死ぬなというのに、先生は死ぬも生きるもあなたしだいだというようなことをいった」と怒った。死なずに面接にきてくれたのはありがたい。
「死んでやる! 後悔させてやる!」という患者には、このごろはこう答えようと思っている。
 「あなたに死なれたらもちろん悲しい。治療者として何か間違いを犯したのかどうかふり返ってはみる。しかしとくに間違いを犯していない限り、一生後悔することはない。逆の場合を考えてほしい。治療が成功すればうれしいし、役に立ててよかったとは思う。しかしすべて私が治したなどとは思わない。患者さんの資質、努力、周囲の状況そして運命もあって治ったのだと思う。自殺に対しても同様で、すべて私のせいで死んだなどとは思わない」と。
こういおうと思うようになってから、「死んでやる!」とあまりいわれなくなったようである。