治療者のとるべき態度

成田善弘「青年期患者と接する治療者について」『青年期患者の入院治療』金剛出版、1991年(『心と身体の精神療法』金剛出版、1996年、71-97頁所収)

「先生にお願いがあるんです。医者と患者としてでなく、人間と人間として私に接してほしい。病気の人間が本当に求めているのはそういう関係なんです」。これはある青年期の患者が最近の面接で私に言った言葉である。・・・・この患者の言葉に私はこう答えた。「私はあなたの治療の役に立ついい医者になりたいと願っている。・・・」と。・・・・[中略]

 精神療法における患者と治療者の関係は、悩みや苦しみをもってその解決への援助を求める依頼者と、それに応えうる知識と技術をもつ(と想定される)専門家との役割関係である。それはあくまで職業的関係であって、多くの場合、親や配偶者や恋人や友人に及ばないであろう。むしろそういった感情からいったん自由になって、患者との関係を冷静に観察しうるからこそ、患者の問題解決を援助しうるのである。・・・・[中略]

ここで、誠実で熱意のある、しかし経験と技術に乏しい精神療法家が青年期境界例と接するときの気持ちの変遷をたどってみる。
 治療者はまず患者の力になってやりたい、助けてやりたいと思う。そう願いつつ関わっていると、患者の一見異常と見える言動の底にある空しさ、寂しさ、悲しさが伝わってくる。
 そのうちにそういう彼らの気持ちを本当にわかってやれるのは自分だけだという気持ちになり、患者の両親、周囲の人たち、病棟の看護婦などが無理解な人間に見えてくる。
 こうなると患者と治療者の間に他者排除的な二者関係が成立し、両者はそこに埋没して、その二者関係の内側からしか世界が見えなくなる。
 冷たい世界のなかで二人だけが人間と人間とのあたたかい関係を作っているようなつもりになるが、やがて患者は退行し、分裂や投影同一視といった原始的防衛機制があらわになり、行動化が頻発するようになる。
 患者は治療者が専門家としての役割を越えて絶え間なく関心を払い、献身してくれることを要求する。治療者は患者の要求に応じかね、困惑し、時には怒りや憎しみすら感じるが、一方でそういう自分がよい治療者でないことに自責の念を抱く。
 どうしてよいかわからなくなり、どうすることもできないという無力感が生じる。治療者がこの無力感に耐えられないと、ついには、こんな患者は皆に見捨てられても当然だという気持ちになり、患者を放り出したくなる。

 これを患者の方から見ると、自分を受け入れ、力になってくれていたはずの治療者が、自分を見捨てる、悪い、恐ろしい治療者に変わってしまうことになる。 境界例の青年は対象の表の仮面がはがれて裏の恐ろしい素顔があらわになるのを恐れている。よい人ががらりと変わって恐ろしい人になる。彼らはいつもこういう不安を抱いている。
 そして、誠実な治療者が一人の人間として患者に接しようと努めていると、その意図に反してあるいはむしろその意図ゆえに、患者が恐れていたとおりの悪い人になってしまうのである。

こういう事態をどうしたら防ぐことができるのか? 「患者の力になってやりたい」という善意がどうしたら有効に働きうるのか? こう自らに問い、学び工夫しようとするところから、専門家としての役割意識や技術が生まれてくる。
 ところがその技術−例えば中立性が、ときにはそのときの治療者の生身の人間としての感情と相容れないように思われることがある。中立的であれと役割がいう。
 なぜ手をさしのべないのかと人間がいう。治療者が誠実であればあるほどこういう葛藤が生じやすい。
 ときには治療者のなかに患者の理不尽な(と見える)言動に対して人間として怒りが湧いてくることもあるが、治療者は専門家としてその怒りを抑制せねばならない。いずれにせよ治療者であるためには大変な自己制御が必要となる。
 しかしときには治療者が役割を越えて自己の感情を率直に表出することが、劇的な効果をおよぼすこともある。
 自傷行為を再三繰りかえして入院していたある境界例の女性が、また夜中にカミソリで手首を切り、私が病室に駆けつけたときもなおナイフを手に持っていた。ナイフを取り上げようともみ合ううちに私はつい患者の頬を叩いた。患者は驚いたように私を見たが、殴り返すことなくナイフを私に渡した。翌日の面接で私は患者が私を非難攻撃してくることを覚悟していたが、彼女はそうしなかった。ずっと後に、彼女はそれまでの治療経過を振り返って、あのとき治療者に叩かれたのがひとつの転機になったと述べた。腹が立ったけれども同時に治療者という人間を信頼するきっかけになったという。彼女がこう言ってくれたのは実になんという幸運であろう。われを忘れて患者の頬を叩いたときの私には、私の過去に由来する憎しみや悲しみが混然と湧出していた。それは私という人間への私自身の不信感が燃え上がった瞬間であったのに。類似の経験を持つ治療者は必ずしも少なくないと私は思う。
本当に治療が進展するのは、治療者が専門性だの役割だのという意識から抜け出したときだと言いたくなることすらある。しかしこれはあくまで幸運であって、予測し難いことである。もしそれが予測しうることで、治療者が意図してそう振る舞ったのなら、それは生身の人間の振る舞いではなく専門家としての役割行動であり技術の行使であって、一人の人間への信頼を患者に生じさせることはなかったかもしれないのである。
 とはいえ、われわれは幸運をあてにすべきではなかろう。「一人の人間として一人の人間にかかわる」といったあまりに普遍的な言葉に溺れないで、自分と患者との役割を認識し、その役割の性質と限界を認識することがやはり必要であろう。むろんその役割に閉じこもっていてよいというのではない。それを広げ、乗り越え、そして再びそれを役割に統合していく、そういう絶え間ない努力のなかにこそ治療者の専門性というものがあるのであろう。

「困った時は正直に言う」「わからぬことは患者に聞く」

成田善弘「治療者の介入 −その2− 共感・解釈・自己開示」『精神療法家の仕事−面接と面接者』金剛出版、2003年、79-96ページ、より

・・・レヴェンソンは、患者が怒っていて治療者も怒りを感じているときに、治療者の表現の仕方に以下の四通りがあるという。

1あなたはいつも怒ってばかりいる精神病質者だ。You are a psychopath who is always angry.
2あなたは怒っている。You are angry.
3あなたはいま・ここで怒りを感じている。You feel angry here and now.
4私はいま・ここで怒りを感じているI feel angry here and now.
1を言う治療者がもっとも防衛的であり、4を言う治療者がもっとも率直である。[中略]
・・・私は面接場面で、わが身にどういうふうにこたえてくるかということを大事なことと考えている。それをキャッチしたものを言葉にしたい。つまり面接場面での私自身の中に生じる体感、感情をみつめ、それをできるだけ正直に言葉にしようと努めている。
 このように努めるようになったのは、今まで思わず正直に言ってしまったことが治療的に大きな意味をもった(と私には思われた)ことが何度もあったからである。私はこれを「白状する」と称することにし、治療の中でもなるべく「白状する」ように努めている。もちろん正直はときに残酷になる。治療者の中に生じる患者への陰性感情を「白状」してよいかどうかはよく考えなければならない。しかし治療者が患者の役にたちたいと純粋に思っているならば、「白状」が治療的にマイナスになることは思いのほか少ないように思われる。若い治療者の相談に乗ったりスーパービジョンをするようになって私が心がけていることは、治療者が何か介入をしたときに、あるいはどう介入したらよいか困惑したときに、そのときの治療者の気持ちをよくきいてみるということである。[中略]
 そういう例を一つあげる。大学病院で研究中のある女性治療者が、境界例の女性患者を担当した。この患者はすでにいくつかの病院に受診し入院したこともあったが、問題行動のためそこの治療者から「見捨てられ」て、現治療者のところにきたのだった。大学病院にベッドが空いていなかったので、治療者は患者を、週二日非常勤で勤務している精神病院に入院させた。
 このような形で入院治療を開始すると、患者は治療者が病院に来ない日にリストカットをしたり病室の窓ガラスを割ったりという問題行動をするようになった。対応に困った病棟看護婦からの要請で、治療者は病院に行く日をもう二日増やし、週四日この患者と面接することにした。これで患者の問題行動はやや減少したが、治療者が病院に行かない日はまだ週三日ある。その日に問題行動が生じないようにと、治療者は病院に行かない日はこちらから患者に電話をかけることにした。
 この患者と面接はいつも緊張した雰囲気で、患者は治療者に向かって、「先生は私のことを重荷に思っているでしょう」と詰問した。治療者は患者から、今までの治療者と同じように先生も結局私を見捨てるのか、と問いつめられるように感じていた。
 これにどう対応したらよいか困惑した治療者は私に相談した。私がそのときの気持ちをきくと、治療者は自分の気持ちをみつめて率直に答えた。「本当はこの患者のことが重荷になっている。今の治療のやり方が望ましいものとも思っていない。しかしもし私が重荷だといったら、この患者が見捨てられたと思ってどういう行動にでるかわからないし、治療を中断してしまうかもしれない。この患者はそういうことを繰り返してきているので、またここで繰り返させたくない。だからといって、重荷ではないなどと本心でないことを言ってもこの患者には容易に見透かされてしまうだろう。だからどう答えてよいかわからない」と。
 私はこれをそのまま患者に「白状」してしまうよう助言した。この治療者には患者のために役立ってやりたいという根本的な気持ちがあることがよくわかったからである。そういう気持ちがなければ、中断を心配などしないし、私に相談などしないであろう。
 この治療者は私の助言に半信半疑のようであったが、他に方法もないと思って、面接で次のように患者に伝えた。「週四回の面接と電話は本当を言うとちょっと重荷なの。それに必ずしも治療にプラスとも思えない。でもそう言うとあなたが見放されたと思って治療を中断してしまわないかと心配で(過去にそういうことが何度もあったから)、今まで言えなくて困っていたの」。
 すると患者はショックを受けたようで、「先生が遠くなる」と言ったが、その後しだいに、面接の息づまるような緊張した雰囲気は和らぎ、双方が以前より自由に発言できるようになったという。
 これが私のいう「白状」ということで、レヴェンソンのいう"I feel〜."に当たる。これを "You feel〜." の形でいえば次のようになるであろう。「今心細くて私の側にいたい気持ちなのですね。でも一方で、それが私の重荷になって、私があなたを見捨てやしないかと心配なんですね」。この言葉は先程述べた「白状」と表裏(同型反転)になっている。[中略]治療者が患者のために役に立ってやりたいと願いつつ患者の気持ちを理解しようと努めているときに、患者の気持ちと治療者の気持ちはこのように同型反転的なものになる。
 これを "You are a〜." の形で言えば「そんな要求ばかりしているようでは、あなたは自立できていない駄目な人間だ」ということになる。"You are〜." の形で言えば「あなたは私に頼っているのですね」ということになる。こういう言い方はおそらく患者の反発を招くか、そうならないまでも治療的な意味をもたないであろう。・・・
 

行動化に対して

行動化といっても、こちらが勝手に名前をつけているだけで、患者のほうは、問題行動をしても、別に行動化だと思っていないわけです。
まず、これは行動化だと、問題に標識します。治療的に検討しなきゃいけないと。
ある行動、何かあるとすぐ怒ってしまうとか、あるいは万引きとかになればはっきりしますけど、これは問題なんだ、これについて治療的に検討しなきゃいけない、というふうに、ある一塊の行動に問題という標識を立てる。それによってその行動を多少なりとも自我異和化します。
 患者が問題行動(自傷、暴力など)をしていても、治療者に言わない場合があります。そういう場合は、「あなたのような状態の人にはこういうことが起こりがちである。ひょっとしてあなたにもそういうことが起きていないか心配している」とストレートにいいます。第3者、例えば母親から実はリストカットしていると聞いて、患者にそれを突きつけてはいけない。一般論としてこういうことがありうるといふうに言います。

その次にその行動化の意味を考えるんですけど、行動化にはある種の適応的な側面があります。いろいろな行動化には例えば空虚感を一時なりともやわらげるとか、慢性的な離人感から抜け出すとか、リストカットはしばしばそうですね、手首を切った瞬間だけ多少生き生きする。それから一層破壊的になるのを防ぐというメリットがある。例えばお母さんを殴る代わりにガラスを割るとか。
特定のサブカルチャーの中で承認を得られるというのも大きいです。乱暴なオートバイの運転をすると暴走族内では評価されるでしょう。あるいは例えネガティブなものであっても周囲の関心を引く。全く無関心に放っておかれるより、ガラスを割れば「どうしたんだ、おまえ」という風に親がやってくるとか、そういう「行動化のもっているプラスの側面」というか、効用をまず治療者がしっかりつかんでおく必要があります。

ほとんどの行動化は発生的には適応的な行動であることが多いんです。例えば赤ちゃんがお母さんがなかなかお乳をくれないので床にひっくり返ってバタバタする。するとお母さんがすぐ飛んできてお乳をくれる。だから「床にひっくり返ってバタバタする」というのは赤ちゃんにとって極めて自然な適応的な行動です。しかし20歳すぎた人が、母親がわがままをきいてくれないから床にひっくり返ってバタバタして、ついでにガラスも割ったりするとこれは問題行動だということになります。しかし発生的にいうと適応的な行動です。そういう適応的な面を治療者が評価したということが患者に伝わらないといけない。その上で、バタバタしてももうお母さんはとんでこないし、かえって嫌われて自分も傷つくことを理解してもらう。
要するに行動化の適応的な側面を評価した上で、しかしながら、その行動化がもたらしているマイナス面を患者に直視してもらうように持って行くわけです。そしてちゃんと止める、まずは言葉で「そんなことはしてはダメ」とはっきり言います。
言葉は無力だと思ってちゃんと言ってない治療者が多いんですが、存外聞いてくれることがけっこうあるんですね。ちゃんと言わないといけない。言葉ではっきり制止するということですね。
もう一つ必要なことは、感情と行動をはっきり区別することです。
精神療法の要点の一つは、まず感情に賛成し、場合によって行動に反対することです。例えばお母さんが憎らしくてぶん殴る、あるいは刃物を出すということがありますね。そんなとき患者の気持ちを聞くと、本当に母親を殺したいような気持ちだと言います。
そうすると、「殺したい、そこまではなるほど、あなたの話も全然わからんわけじゃない。そういう気持ちになることもあるだろう。しかし現実に包丁を突き刺すということとは全然違う」と告げます。感情に賛成し行動に反対する、これは当たり前のことで、要するに患者の内界と外界を区別してやるということなんです。
多くの母親はそういうとき「殺したいとは、なんておそろしい子なの」というふうに反応しますから内界で殺したいと思うこともできなくなっちゃう、あるいは仮にそういうふうに思うと自分は大変おそろしい子どもだということになってよけい混乱します。だからほとんどすべての感情には賛成し、行動と感情は別だということを言った上で行動に反対する。市橋秀夫の論文で、境界例の入院治療で看護師さんには次の3つを言ってもらうと書いています。「だめ」「がまん」「だいじょうぶ」の3つ。かなり大胆な論文なんですが、要するに患者が例えば夜中にきて薬をくれと言っても、もう薬はだめ、明日の朝までがまんしなさい、と言う。「ものすごく苦しくなったらどうしよう」といわれたら「あなたはちゃんと乗り越えられる、だいじょうぶ」とこの3つで行けというわけですね。「だめ」というのは限界設定ということです。「がまん」、これはいろいろな感情を心の中に入れておくという、コンテインということですね。内界保持ということです。そして「だいじょうぶ」と安心感を保証する。その繰り返しを経て、本人が成長していくのを見守っていきます。

構造化

さて、以上のような事態を防ぎ、患者治療者双方が傷つかないためにはどうしたらいいかという観点から対処の仕方=マネージメントを考えてみたいと思います。
自己破壊的な行動化や急速な退行を防ぎながら治療関係を維持するには、まず「構造化」が大切になります。
構造化とは、この治療で自分は何をしたらいいか、自分には何を期待されているか、患者にはっきりわかるようなセッティングをすることです。境界例の人は無構造な治療で大変退行したり行動化します。ただ漠然と「受容的に」「話をよく聴きましょう」「とにかく入院しましょう」といったことはよくない。今何が問題で、具体的な治療目標は何かをはっきり言葉にして患者と合意に達する必要があります。
例えば外来であれば、まず面接時間を約束してよほどのことがなければ変更しない。患者はしばらくすると延ばしてくれだとか、非常に苦しくなったからといって臨時に来たり、電話が昼夜問わずかかってくるということになります。そういうときに非常に親身になって話をよく聴くということは患者の退行を促します。患者の自我を支えるためには約束の時間が終わったら帰りなさいとか、夜遅くは対応できないから次の外来まで我慢しなさいとかいうアプローチが必要です。
 面接の内側と外側、心の内と外、わたしとあなた、過去のできごとと現在起こっていること、そういった境界をはっきりさせるよう心がけるということです。治療者のほうにも患者に対していろいろ激しい衝動がわいてきます。ときにはどんどん会って助けてやりたくなったり、逆に憎らしくなってもう面接をしたくなくなったり、治療者も感情にふりまわされないように治療構造を明確にしておく必要があります。
そしてまず患者に治ろうとする意志があるかどうか確認しなくちゃいけません。治療に際して「人格の再編成」などというたいそうなことじゃなくて、治療の対象となる症状を考えたほうがいい。例えば「憂うつである」とか「カッときてすぐ物を投げる」とか具体的な症状をとりあげて、それを治すためにどうしていきましょうかというふうに相談します。約束をするわけですね。面接の頻度や時間といった当然の決まりごとから、「自殺してはいけない」「薬をたくさん飲んではいけない」とかはっきり言葉で言います。もちろん患者は約束を守れないことが多いのですが、初めにはっきり制止しておくことが重要です。そういう設定をした上で治療を受けるかどうかは患者に選択してもらいます。治療を受けるということはその設定を守ってもらうことが前提になっているというふうに明確化しておかないといけない。それから患者がいろいろ要求してきたときも、ここまでは引き受けるけど、ここから先は引き受けないということを明確にしておきます。なんとなく頼りになりそうな治療者で要求すればズルズルきいてもらえるというふうでは結局は患者は混乱し退行します。境界、壁といった感覚を育てなければならない。
境界例は外来治療が基本です。どうしても入院が必要になった場合には、そのつど短期間で行うほうがいいです。長期間入院させて人格の再編成を行うのは非常に困難ですし有効性も証明されていません。
入院の場合は期間をくぎります。場合によりますが2〜4週間がいいようです。いつまでも入院してもいいとか、いつ退院できるかわからないというのはよくない。
それから入院の目的をはっきり決める。「自殺企図があったためまず休養する」「親と距離を置く、頭を冷やして考え直そう」「入院して他の患者さんやスタッフとの人間関係を体験して、それについて話し合い、社会生活の仕切り直しをしよう」など。とにかく目的を明確にします。患者にとって「自分は何をすることが期待されているか」はっきりさせます。
それから患者を抱える、ホールドする、母親が赤ちゃんを抱っこして、赤ちゃんが落っこちてケガしないようにしている。だから守っていると同時にリミットセッティングしているというのはもともとのイメージですが、そのホールドするのは自分ひとりではない。入院であれば看護師も、ケースワーカーもいますし、場合によっては警備員のお世話にもなる、売店のおばさんも、いろんな人がいる。外来であれば保健師もいるし、教師もいるし、家族もいる、場合によっては警官もいるし、いろんな人がいます。
 患者が内界に抱えきれず行動化するのを、こういう人達全体で抱えているイメージをまず治療者は持たなくてはいけません。自分で全部抱え込んでいるわけではない、それは患者も治療者も同じなんです。こういう人達全体でチームというか、共同体となって機能するといいですね。
 そこで治療者がすることはマネージメントです。全体として捉えながら、俯瞰して、だれがどこでどういうことをやってくれている、そういう情報を集約する、場合によっては先生にはこうしてほしい、親にはこう振舞ってほしい、といったお願いをしたり、情報を伝達し、諸関係を調整します。そういうふうな感じで自分を捉えておいたほうがいいです。

成田善弘/境界例の治療 

(平成6年7月12日第37回大阪精神科懇話会/北野病院紀要第39巻1994)を改変


「子どもの頃、母親が買い物に外出するともう帰ってこないんじゃないかと不安でした。母が『ただいま』と言って帰ってきても『本当のお母さん?』と何度も確かめました。誰か別の恐ろしいものがお母さんの仮面をかぶって私を殺しに来たんじゃないかといつも不安でした。」
境界例の女性の言葉ですが、昔話を連想する内容です。幼児期の回想ですが、同時に、彼女は現在の母親にもそういう気持ちを持っているし、こういう話をする時は、今その話を聞いてくれている相手の態度ががらっと裏返しになりはしないか、そういう心配をもっています。彼女の瞳には恐ろしい世界が映っているのです。荒れ果てた寂しい世界に彼女は住んでいるのでしょう。
境界例的な心性は、誰の心にもある子どもの心、あるいは持続する著しい青年期心性とも言えます。


人格障害をもつ患者(以降、境界例とする)と出会うと、熱心に精神療法を志している人は大変気持ちを揺り動かされ、惹きつけられます。
境界例というのはたいてい世間の辺縁に住んでいますが、精神療法を志す治療者というのは、社会においても精神医学においても辺縁の住人です。境界例をみますと、治療者はそこに青年期心性とか辺縁人としての心性がみえてくるわけです。それは自分が失った、あるいは社会に適応するために捨ててきた心です。
また生活史をみますと、悲惨な出来事が相次いで起こっています。例えば肉親との死別、親友の裏切り、無理解な社会からの迫害などなど、人間の宿命がギリシャ悲劇をよむように見えてくる。人間の深層、神話的世界にかかわっている気がしてくるわけです。深いところまで届くという感じがする。これが精神療法家にとって魅力です。つい救いの手をさしのべたくなります。
まず治療者の中にやさしい気持ち、何とかしてやりたい気持ちがわいてきます。患者の心の底にある哀しさとか、寂しさとか、虚しさとか、そういうものが非常によくわかるような気がしてきます。心に響くのです。さらには、今まで誰も彼らのそういった気持ちをわかってやってないんだ、彼らを本当にわかってやれるのは自分だけだ、という気持ちがわいてきて、患者の両親とか周囲の者が患者に対して冷たいんじゃないか、という気がしてきます。
そうしますと治療者自身の青年期のいろいろな問題 − 例えば治療者自身が青年期に孤独であったとか、周囲から受け入れられなかった − とかが再現されてきます。そうなると患者と治療者の間に他者排除的な2者関係ができます。他人の介入を許さない雰囲気になってきて、治療者も患者も関係の内側からだけ世界を見て、2人で「世の中は冷たいね」といってる感じになります。
他者排除的な2者関係とは境界例の最も得意とする関係です。彼らの病理はそういう濃密な2者関係の中でこそ著しく顕在化します。従って1対1の個人精神療法をするということは、精神療法家が境界例の病理のパートナーとして立候補することでして、病理が花開く培地を提供するようなものです。そうしますとパートナーになっている治療者は、患者の気持ちがものすごくよくわかりますから患者の気持ちに沿って(あるいは治療者が先取りしてそうみなしていることに沿って)あらゆることを代行する。それは本来、患者自身が決断し実行しなければならないことです。
例えば代わって学校の先生に電話をかけてやるとか、お母さんと話しにくいといえばすぐお母さんを呼んで相談してやるとか、そんなことをしていると、どこまでが患者の気持ちで、どこからが治療者の先取りかわからなくなってしまう。患者の気持ちと治療者の気持ちが区別できなくなって、互いに相手の中に自分を見ている関係になります。もちろんその関係の原型はかつては「患者とその母親の間」に起きています。現在の「患者と治療者の間」に起きている関係はその再現でしょう。
さてそうなりますと、患者がその2者関係の中でどんどん退行し、原始的な防衛機制を活発に起こすことになります。具体的に言いますと、面接の頻度や時間の増加を要求したり、遂には治療者がいついかなるときでも患者の要求に応じてくれるのが当然、と思うようになります。水道の水をひねればすぐ水が出るように、治療者はいてほしいときにすぐ来てくれなきゃいけない、万能の母親であることを要求されるようになります。そんな無理難題、理不尽な要求は当然叶え続けることはできません。あるとき治療者が要求に添えなくなると、患者は突然がらりと人が変わったように激しい敵意や攻撃性を示します。つまり治療者は、初めは患者のことを助けてあげる人だったんですが、今や患者の手足のごとく奴隷のごとく扱われまして、それが叶えられないと巨大な圧政者だとか迫害者だとか、そんなふうに見られるようになります。がらりと変わるんですね。裏返しになる。こういった関係はそもそも患者が両親や恋人との間にしばしば繰り返している関係です。
こうなると治療者は「助けてあげたかったのに、どうもこんなはずじゃなかった」という感じになります。そこで怒ってやめにできればいいんですが、熱心な治療者は、かわいそうな患者に再び「見捨てられ体験」を与えちゃいけないと考えて、患者の出す無理難題に一生懸命耐えることになります。患者がなかなかよくならないのは、あるいはむしろ悪くなったようにみえるのは、自分の未熟、無能のせいと思い、治療者は自分を責めるようになります。
そのうち患者が重荷になって放り出したくなり、「そんなことを考えてはいけない」と葛藤に陥ります。境界例は相手の心の中にある陰性感情を発見することにかけては非常に鋭いです。気味が悪いほど目ざとく気づき、いろいろと責めてきます。「先生、私のことを重荷と思ってるんでしょう」とか「私を嫌ってるんでしょう」とか言ってきます。内心そのとおりだから治療者は動揺するんですね。
そういうとき、治療者は患者に対して「そう思う根拠は何ですか」と不思議に思い、聞くべきなんです。治療者が患者に理想的な態度をとっていれば、その根拠は非常に挙げにくいか、大変歪曲されたものになるはずなんですが、ところが実際は治療者も内心ちょっと怒っていたりするから、そこのところは意外と患者の言うとおり、というふうになってしまうことが多い。
しかも、ここがポイントなんですが、治療者を責めるときに患者は大変しばしば治療者の言葉をコンテクスト抜きで、それまでの文脈抜きで引用します。
例えば「先生は私に来なくていいといったじゃないか。ひどい言い方だ」というふうに患者が言ってきたとします。そのときのことを治療者が思い出すと、まず患者が「もうお前のようなヤブ医者にはかからない」とか「来てもしょうがない」とかさんざん言うからつい治療者は「そんなに来たくなければ来なければいいじゃないか」ともらした。後から患者が前後の文脈を全部抜きにしてただ「先生が私に来なくていいと言った」というところだけ抜き出してくる。
文脈抜きで引用し都合よく解釈するのは境界例の得意技です。治療者は「たしかにそう言ったかもしれないが、そんな意図ではないんだ」と言いたくなります。すると話が泥沼にはまります。こういうとき患者は「見捨てられ感」を抱いています。過去のいろいろな見捨てられ体験が、現在の心境に融合して再体験されます。友人や恋人から見捨てられたとか、学校の先生に見捨てられたとか、母親からも見捨てられたとか、そういう以前の見捨てられ体験が融合して、それぞれ区別して取り出すことが難しい。それを「体験の融合性の過剰」と呼んでいます。過去の見捨てられ体験を一つ一つちゃんと検討しますと、別れの体験は必ずしも見捨てられるばかりじゃない、卒業するとか、出発するとか、成長、あるいは自立するとか、そういう文脈も含んでいた可能性はあるんですが、そういったものはどこかへいってしまう。
患者の側にも、例えば自分が深く愛していた、あるいは依存していた人から離れていくことに対する後ろめたい気持ちとか、あるいは自分を抱えきれなくなった相手に対する軽蔑の気持ちとかいろいろあるに違いないんですが、それらはほとんど意識にのぼらない。
ただ「今この治療者から見捨てられる」という側面に共鳴する側面だけが過剰に意識化されてくる。つまり過去の体験の全体性が損なわれる。別れなら別れが持っていた見捨てられるという側面のみ強調される。自立とか成長のきっかけという側面や、自分のほうにもいろんな感情があって相手に悪いことをしたかもしれないという側面は損なわれ、「自分が見捨てられた」という体験が「今この治療者から見捨てられる」という側面に共鳴して思い出されるのです。
ですからそのとき治療者は患者の人生すべての恨みを引き受けることになります。友達から捨てられた、恋人に裏切られた、先生に見捨てられた、母親さえ自分を見限った、そういう恨みつらみをいっさいがっさい全て一身に引き受けなければならない羽目になります。「濡れ衣感情」とでも言うべきものが治療者の心にわいてきます。
そこで治療者のほうが怒ってしまって、患者も怒って終わりになることもあります。しかし本当に熱心に精神療法を志している人はそこで考えてしまうわけです。特に治療者が誠実であればあるほど、患者が非難することに一片の真実があることを認めざるをえないわけです。
患者が「先生、私がいなくなればいいとおもっているでしょう」とか言ってくるが、確かに境界例患者に会っていると、怒りがわいてきたり、患者がいなくなればいいと思うこともあります。ふだんは治療者という役割に隠れている生身の感情が露呈するのです。そうすると自分も悪い人間だと治療者が感じ、無力感に陥るようになります。患者も自分の感情に圧倒されてますます収まりがつかない、どうしていいかわからない、どうすることもできないというふうになります。こういった無力感が治療者と患者双方を支配する。この無力感こそ患者がこれまでの人生で何度も抜け出そうとしてなお抜け出せず苛まれ続けている感情なんです。 治療者はそこでその無力感をよく見つめて、それを自分の内界に保持しながらその由来を探らなきゃいけないんですが、若い治療者は自分の有効性を周りに証明しようとあせる気持ちが強いんです。そのうえ周囲に理解者がいないとますますあせってしまい、一生懸命になればなるほど治療が難しくなってきます。ついにいかに誠実で良心的で熱心な治療者でも怒り出してしまう。「悪いのはお前だ、お前はみんなに見捨てられて当然だ」


今までの経緯をまとめますと、

人格障害をもつ人物と熱心にかかわる人に生じやすい気持ちの変遷。

「力になってやりたい、助けてやりたい」
     ↓
二者関係への埋没 「かれのことをわかってやれるのは自分だけだ」
     ↓
病理の開花、問題行動acting outの頻発「こんなはずではなかった」
     ↓
生身の露呈、困惑と葛藤 「どうしていいかわからない」
     ↓
「悪いのはお前だ、お前はみんなに見捨てられて当然だ」

こうして恐ろしい怖い治療者にがらりと変わってしまう。治療者自身が裏返ってしまったみたいに、よい仮面の下の恐ろしい素顔があらわになる、というふうになっています。これが境界例の病理、その一つの特徴なんです。実は患者ががらりと変わって裏返しになっているんですが、当人は自分が裏返しになっていることを自覚しているわけではない。相手ががらっと裏返しになることをすごく恐れています。例えば「先生は今はやさしくて穏やかだが、突然怒り出すんではないか」とか、患者は治療者と接しながら常にそういうことを考えているのです。

 ある女性患者の話です。
「子どもの頃、母親が買い物に外出するともう帰ってこないんじゃないかと不安でした。母が『ただいま』と言って帰ってきても『本当のお母さん?』と何度も確かめました。誰か別の恐ろしいものがお母さんの仮面をかぶって私を殺しに来たんじゃないかといつも不安でした。」

昔話を連想する内容です。これは幼児期の回想ですが、同時に、彼女は現在の母親にもそういう気持ちを持っているし、こういう話をする時は、今その話を聞いてくれている相手の態度ががらっと裏返しになりはしないか、そういう心配をもっています。彼女の瞳には恐ろしい世界が映っているのです。荒れ果てた寂しい世界に彼女は住んでいるのでしょう。
前述の表のように治療者の態度ががらっと変わっていき、患者の不安が的中することになります。

認知症について 

★中核症状 記憶障害 → 判断力の低下 → しだいに人格変化、寝たきりに


記銘力障害 
新しいことを覚えられない。数分ごとに何度も同じことを繰り返す。

全体記憶の障害 
普通の物忘れ(体験の一部を忘れる)と違い、体験全体を忘れる。
外出した後に「どこも行ってない」、食事をした後すぐに「ご飯を食べていない」

記憶の逆行性喪失  
蓄積された過去の記憶が、現在から過去に遡って失われていく。
「その人にとっての現在」は最後に残った記憶の時点になる。「家に帰る」「今から会社へ行く」と言ったり、年齢をたずねると「40才」と真顔で答えたり、配偶者の顔がわからなくなり、息子を見て父親の名前を呼んだりするのは、昔の世界に戻ってしまったと考えれば自然な反応。不安な現在から、最も生き生きと生活していた古き良き時代への帰郷願望



★周辺症状 妄想、易怒性、興奮→心をうまく表現できない高齢者の非言語的メッセージ

言ったり聞いたり行動したことはすぐ忘れるが、感情の世界はしっかり残っている。瞬間的に目に入った光が消えた後も残像として残るように、認知症の人がその時抱いた感情は長く残っている(感情残像)

記憶の逆行性喪失の性質上、ある程度過去のことは覚えているため、しばらく会わなかった人とは会話が成立しやすい。結果として、認知症の症状は介護者に最もひどく出て、久しぶりに会う者には軽く出る。

認知症の人は、判断力が低下し、相手の気持ちが理解しにくいため、自分にとって不利なことを認めず、周囲の言動に感情的に激しく反応する。また、一つのことにこだわり続け、説明や説得は混乱を強める。



認知症の特徴を理解し、周囲の者が認知症の人の世界を認めて合わせる必要がある。





対応時の望ましい基本的態度


1)中核症状は動かせない事実として受け入れる
2)周辺症状は取り除くことができる症状として、緩和を試みる。介護が主役

第一に、人生を生き抜いてきた人として相応の敬意を払って接する


1.落ち着いた雰囲気で平静に忍耐強く接し、相手のペース、能力に合わせる(本人の習慣を尊重する)。依存させすぎないようにできることは本人にやらせる。約束は守り、脅かしを使わない、不安をあおらないようにする。


2.考えや気持ちをありのままに表現させる。もっともらしい助言はしないよう気をつける(「元気をだして。きっとうまくいくから」という話のもって行き方はやめる)。何も言わず同じ気持ちになって悩みを聞き、怒りや抑うつ、死への恐怖など否定的な感情に耳を傾け受け入れる。


3.自分が話すのはやめ、相手の話の腰を折らない。相手がくつろげるよう共感し喜んで聞く態度を続ける。大げさにならず純粋に興味をもって聞き、相手が話した内容を自分の理解で言い換える。自分の考えをおしつけず、言い争いや批判は避ける。相手の話を理解できなくても自尊心を尊重し会話を続ける。くりかえし同じ話をしてもちゃんと聞く(くりかえすということはそれだけ思い入れがある内容であるから)。


4.医療者の言葉は短めに簡潔な表現で、一度に一つのことだけ取り上げる。答えてもらう場合はゆっくり時間をかけ、言葉が出ないようなら助け舟を出す。会話内容としては、本人の楽しいことを回想してもらう(若い頃の仕事、家族との思い出、趣味、自慢など)。作業療法として日常的に五感を使うようにする(手工芸、音楽、塗り絵など)

江國香織 新潮文庫「つめたいよるに」所収 「晴れた空の下で」

わしらは最近、ごはんを食べるのに二時間もかかりよる。入れ歯のせいではない。食べることと生きることの区別がようつかんようになったのだ。
たとえばこうして婆さんが玉子焼きを作る。わしはそれを食べて、昔はよく花見に行ったことを思いだす。そういえば今年はうちの桜がまだ咲いとらんな、と思いながら庭を見ると、婆さんはかすかに微笑んで、あの木はとっくに切ったじゃないですか、と言う。二十年も前に毛虫がついて難儀して、お爺さん御自分でお切りになったじゃないですか。
「そうだったかな」わしはぽっくりと黄色い玉子焼きをもう一つ口に入れ、そうだったかもしらん、と思う。そして、ふと箸を置いた瞬間に、その二十年間をもう一度生きてしまったりする。
婆さんは婆さんで、たとえば今も鯵をつつきながら、辰夫は来年こそ無事大学に入れるといいですね、などと言う。
「ちがうよ。そりゃ辰夫じゃない」鯵が好物の辰夫はわしらの息子で、この春試験に失敗したのはわしらの孫、辰夫の息子なのだった。説明すると、婆さんは少しも驚いた顔をせず、そうそう、そうでしたね、と言って微笑する。まるで、そんなのどちらでも同じことだというように。すると白い御飯をゆっくりゆっくり噛んでいる婆さんの、伏せたまつ毛を三十年も四十年もの時間が滑っていくのが見えるのだ。
− (中略) −
「飯がすんだら散歩にでもいくか。土手の桜がちょうど見頃じゃろう」
婆さんは、ころころと嬉しそうに声をたてて笑う。
「きのうもおとついもそう仰有って、きのうもおとついもでかけましたよ」
ふむ。そう言われればそんな気もして、わしは黙った。
− (中略) −
散歩から戻ると、妙子さんが卓袱台を拭いていた。
「お帰りなさい。いかがでした、お散歩は」
妙子さんは次男の嫁で、電車で二駅のところに住んでいる。
「いや、すまないね、すっかりかたづけさしちゃって。いいんだよ、今これがやるから」
ひょいと顎でばあさんを促そうとすると、そこには誰もいなかった。妙子さんはほんのつかのま同情的な顔になり、それからことさらあかるい声で、
「それよりお味、薄すぎませんでした」と訊く。
「ああ、あれは妙子さんが作ってくれたのか。わしはまたてっきり婆さんが作ったのかと思ったよ」
頭が少しぼんやりし、急に疲労を感じて濡れ縁に腰をおろした。「婆さんはどこかな」声にだして言いながら、わしはふいにくっきり思い出す。あれはもう死んだのだ。去年の夏、カゼをこじらせて死んだのだ。(以下略)