統合失調症は均一な一群ではない。

妄想幻覚などの陽性症状はうつ病、不安障害の重症例や発達障害などほぼすべての精神疾患で生じうる。木村敏は高機能発達障害統合失調症の前段階は大きく類似すると答えた。診断基準はあくまで表に表れた結果を評価する。なぜ妄想に至ったか、素因は何があったかなどは伝統的診断として形骸化している。当然ながら、統合失調症と言われている人でもうつになるし、人格の歪みも生じうる。
抑うつ気分、不安、妄想、すべて二次的症状であり病態の本質ではないのかもしれない。
木村敏が言う「統合失調症の本態はそのひとの生き方」という解釈は、生き方=世界との接し方、つまり世界をどう解釈するか=認知のしかたということになる。そこから統合失調症のフィルター仮説(多くの情報を遮りきれない)につながる。ストレス脆弱性仮説も「その人が世界の現象を他人より、より脅威的に捉えるからは発症する」と説明しなおすと結局は同じことの言い換えだとわかる。

発達障害自閉症周辺群)がコミュニケーション障害をきたすのも、「他の人と認知の仕方が違うから世界の莫大な情報がいっぺんに入ってきて処理しきれないから」。つまり、たとえば他人に声をかけられた瞬間そのひとの言葉だけではなく、声色、手振り、表情、気配、その人間すべての情報を捉えてしまうから。
神でもなければ、そんなものすぐに理解できるはずがない。だけど人は「こいつは馬鹿だから会話ができない」と誤解する。

だから人が当たり前に処理している自明の概念、愛とか友情とかがうまく理解できない。情緒的なものが把握しにくい。稲中卓球部で前野君が叫んでいるように「愛」という概念をそのままに理解することはキリストにでもならなければ本来無理なのだ。
自明性の喪失とは統合失調症で言われることだが、同時に自閉症の中心病理にも近い。
「愛」をわかったふりしている人々と、その意味を、莫大な情報を処理しようと苦しむ自閉症の人とどちらが狂っていると思いますか。
自閉(心を閉ざす)や統合失調(心がまとめきれない)とは結果であり、その本質は感覚過敏である。

発達障害を極端な群(患者群)ではなくもっと広く捉えた場合、発達の差異、さらにいえば認知の仕方の差異、ものの受け止め方の差異になる。
それは後天的なものと先天的な情報処理システムの差異にわかれる。先天的なものは発達障害となり、アスペルガーADHDなど微細脳機能障害といわれる一群の内、さらに一部は天才的な科学者になる者もいる。「愛」などの抽象概念の解釈によっては性同一障害をきたすかもしれない。後天的なものは統合失調症と呼ばれるだろう。
「認知の差異」を考え方の中心にすえた場合驚くほど事態は明瞭になるのです。