「ロックンロールとは生き様よ」と美輪明宏が吉井和哉に語っていた。

音楽性云々、演奏スキル云々ではなく、結局はその人の人間性や生き方が共感できるか。
そこで、その人の好きな音楽、好きな映画なんてものは決まってくる。

統合失調症の本質は「その人の生きかたである」と京都大学名誉教授、精神病理学の第1人者である木村敏は語る。

以降はその講演要旨。 統合失調症とは何か(木村敏の講演録)

妄想幻覚は他の精神疾患でも出現する症状であり、統合失調症特有のものではない。薬物療法も共通性している。すると妄想幻覚は生体の防御反応ではないだろうか。身体疾患でいう炎症反応と同じように。
 妄想幻覚はそれ自体が統合失調症の本質ではなく、二次随伴現象にすぎないと考えられる。
症状発現機構(妄想の生じる仕組み)と病態生成機構は違うのではないか。現在の治療は対症療法(解熱剤に似ている)にすぎず、発生病理と乖離している。

統合失調症の本質は妄想幻覚などの臨床症状ではなく
「患者の生き方」の全体像(schizophrenic way of life)と考えられる。


統合失調症、発症前からの特徴

  • 1幼児期から自己表出、自己主張が弱い。親に対する無力な従順、嘘がつけない、裏表がない。
  • 2特徴的な不器用さ。状況全体の統合的認知が困難。
  • 3これらの特徴を親が気づかないか。気づいても重要視しない
  • 4両親相互間、親子間に自然な共感に乏しい。不自然な過保護or 過干渉
  • 5思春期の自己確立への無理な努力と挫折。両親からの過激な離脱独立の試みとその挫折
  • 6他人や未来に対する特異な恐怖感と憧れ。あるいは逆に気負いすぎた構え
  • 7対人関係における本能的不信。あるいは逆に無警戒の信頼
  • 8恋愛感情の統合が困難。統合失調の初発、再発は恋愛が多い。

統合失調症、臨床的特徴

  • 1対人行動の不自然さ(いわゆるプレコックス感)顔つきで症状の経過がわかる。
  • 2内面的世界の不自然さ(自然な自明性の喪失)みんなが普通にやれることができない
  • 3基本的自発性(能動性)の自己帰属感が不明確(させられ、つつぬけ体験)
  • 4対人接触の忌避。社会不適応(social skill以前の問題)
  • 5唐突な性急さ。理想追求(特に発症前後に見られる)
  • 6一点集中。常時本番体勢の構え(ゆとりのなさ)
  • 7比喩やダブルバインド(本音と建前)への対処困難(つまり裏表がない)
  • 8予測困難な衝動性、衝動的行動(陽性症状の発症直前の暴力、消退直後の自殺など)

統合失調とは「不自然さ」と「自己確立のもろさ」に要約できる。
言い換えれば 純粋で正直で嘘をつけない、争いを好まない
よって、人とうまく付き合えない(人間関係は両義的であり時に騙しあい、争いとなるのだから)



自然さ(おのずから)
自己(みずから)

この二つは対立概念、弁証法止揚ではない

むしろ図と背景 対 裏表の関係

自然と自己の共通根源は 「生命そのもの」
固体ではなく綿々と続くもの あるいは食物連鎖のように生物と生物をつなげるもの。
あるいはgene= 遺伝子と訳すよりも‘発生子’とでも訳すべきもの。根源。
「生命そのものは決して死なない。死ぬのは個々の生き物だけ」
「主体性とは生命そのものへの関与において成立する」
つまり個人が主体的であるためには自らの個別生命と「生命そのもの」それぞれへの二重の関与が必要になる。しかし統合失調症では「個の主体性」と「種の主体性」の統合が困難。
つまり個別化の障害。

統合失調の症状自体は躁鬱や他の精神疾患でも起こりうる。
同様に個別化の障害はBPDや多重人格でも起こる。
統合失調は個別化の障害であるが厳密には ‘個別化の原理’の障害である。

「種の主体性」の存在理由は「種の繁殖」
統合失調の発生病理は「生殖過程」と密接に関連している。
(恋愛による症状の憎悪、再燃。思春期発症、親や異性との関係困難、つきはなせない、社会へ出発できない)

一般的な考え方では
生→死 (あるいは生>死)
「生きていなかったら死んでいる」と言えるが、「死んでない状態が生きていること」ではぴんとこない。つまり「生」を主体として考えている。

自→他
「自分でないのが他人」とは言えるが「他人以外が自分」とは表現できない。

しかし統合失調症ではこの関係が逆転する。あるいは不明確になる。
それが「させられ」「つつぬけ」体験の本質ではないか?

死が優位(生<死)となり。死の側に超越的な何か、あるいは自己実現を感じる。
本来ある、生と死の間にある無限の距離(三途の川みたいなものだろうか?)が限りなく
0に近づく。その間の防波堤が「苦痛」(現実との接点?)。自殺は苦痛を伴う。その苦痛を超越してしまう。

統合失調症 /アスペルガー症候群 /注意欠陥多動性障害

このへんが当てはまる科学者、芸術家って多いんだけど。
こういった疾患に共通する「見たものをそのままの形でしか覚えられない」障害とはつまり「見たものをそのままの形でまるごと記憶できる能力」でもある。
ジョンレノンの才能なんて、ある種の精神疾患と類似するし、「ひとと違うものが見える」ことかもしれない。少なくとも彼は才能と引き換えに多大な災難にまきこまれている。思想犯として狙われたり、ファンに撃ち殺されたり。


「瞬間的な記憶力」ではチンパンジーの子供が人間の大人よりも優れていることを、京都大霊長類研究所のグループが突き止め、米科学誌「カレント・バイオロジー」で発表した。複雑なものを瞬時に記憶できる人間の子どもの特殊能力「直観像記憶」に通じるものがあり、松沢所長は「脳内の処理メカニズム解明などが次の課題だ」と話している。
 4歳のチンパンジー3頭とそれぞれの母親の計6頭を対象に04年4月、研究を開始。タッチパネル式コンピューターの画面に毎回位置を変えて1〜9の数字を表示し、小さい順に触れることができれば干しブドウなど餌を与えた。
 その結果、この課題を毎日25分程度繰り返すと、母子共に半年で数字の順序を記憶。「2、4、7」など非連続の表示や、「1」に触った直後に他の数字が白い四角形に変わっても順番通りタッチできた。
 次に記憶容量を調べるため、画面に5個の数字がごく短時間表示された後、白い四角形に変わるよう設定。小さい順にタッチするテストを実施したところ、0.65秒▽0.43秒▽0.21秒と短くしていっても、5歳半になったチンパンジーのうち最も優秀な子供の正解率は約8割で安定していた。表示された直後10秒間、大きな物音で気を取られても正解率は変わらなかった。
 一方、大学生9人に同じテストを受けさせると、表示時間0.65秒では平均正解率約8割だったが、0.21秒では4割以下。また、チンパンジーの大人は、人間の大人とあまり変わらない成績だった。
直観像記憶は研究例が少なく、よく分かっていないが「見たものをそのままの形でしか覚えられない」能力とも言える。人間は言語で抽象的に記憶する点でチンパンジーとは異なる。今回の成果は人間だけを調べていては分からない知力に光を当てることにつながるだろう。

例えば絵を描くとき。

どうしょうもなく表現したいことがあって わけがわからないうちに無意識に描きあげたものは 下手でもどことなく味がある。しかし味の出し方がわかった後にその味をシスティマティックに再現しようとすると、たしかに丁寧でよりキレイな絵になるけどなぜか前より劣ったものになる。 デビュー作がすごくよかった作家が時に二作目で失敗する、失敗ではなくてもどこか物足りないのは、そういうことかもしれない。

 プリンスにとっての情熱や音楽性のピークが「サインオブタイムズ」を生み出した80年代にあるように。レディオヘッドのピークは「KIDA」「アムニージアック」にあるかもしれない。 プリンスの90年代以降の大量の子供たち(音楽)も、レディオヘッドの「hail to the thief」も、基本的には今までの実験の成果を踏まえた作品にすぎない。芸術的にはすぐれているけどわくわくしない。あくまで個人的な意見だ。

鉄腕アトムのリメイク、浦沢直樹の漫画『PLUTO』で。 アトムの生みの親、天馬博士がこんな話をする。
「私は完全なロボットをつくったことがある。 世界の人口60億と同じ数の性格をプログラミングした。そのロボットはなんにでもなれる。 どうなったか? そのロボットは目覚めなかった。 いや、自らの意思で目覚めなかったと言うべきか 目覚めさせる方法は分かっていた。 60億の混沌をひとつの方向にまとめればいい。 怒り、悲しみ、憎しみ、偏った感情を注入することで。」

統合失調症はまさに様々な感情、思考が入り混じった状態だ。 誰もが知らんふりしている世界の救いようのない現実に直面することでもある。
その混乱をあっさり解決しようと思えばどうすればいいかある組織、ある個人、なんでもいい、形のある何かを敵として憎めばいい。そして感情をひとつの方向にまとめ、暴力を振るう瞬間、混乱から解放される。
それが本当の解決か。
混沌を混沌のままですべて受け入れられる人がいたら、聖人と呼ばれるかもしれない。

統合失調症親和性のひとは発症前から他者へと過剰に開かれすぎている(=知覚過敏、情報を取捨選択できない)

「自分に甲羅がない」と幼い頃から感じている。自己を他者の眼差しから遮蔽し、自己を包み込む(コンテイニングする)心的容器が脆弱。
慢性期患者は、その甲羅を病院なり、自分の家なり、または補助的自我となってくれる親なりに見出しているといえる。
統合失調者の自閉、ひきこもりは病態の本質ではない。自己を他者の眼差しから遮蔽するための手段であり、二次的な結果。
統合失調症の病前において、社会や家族からの期待や要求と一体化し、それが本人のよりどころになっている症例が多い。親の言うことをよく聞いて従順、手がかからない。まじめで努力家。人付き合いが下手。嘘をつくのが苦手で、あいまい、両義的で矛盾する俗世間に溶け込めない。


病前の人格構造を極端にたとえると
「テーブルの4本の脚が一本足りない」という言い方がある。
不足した1本を補うべく、他者からの期待、要求に対し、無抵抗に、あるいは無防備に一体化することで精神の平衡が保たれている。
★この平衡は常に揺らぎ危機を内包する。 


平衡創出の手段
→人との交流の遮断、引きこもり、妄想産出、絵画、小説、科学理論の産出
人づきあいの苦手さなどの弱点を専門職、資格によって補うことで発症を免れるケースもある。例えば研究者、学者、エンジニア、心理、医療専門職、そして作家、音楽家などの芸術家など。


夢想に代わる行為として妄想≒創作活動
「コンテイニング(受容)する能力」=母なるものがつつみこむスペース

ひとが狂気に陥らず生き続けるには

「分裂と投影性同一視」に陥らないためには、世界に対する「基本的信頼」が必要。
基本的信頼とは「他者」、そして「未知」なる「現実」への信頼。それがなければこの世界はひどく脅威的なものに映る。
「基本的信頼」は乳幼児期の母なるものからの分離体験によって得られる。


☆母なるものからの分離 
いい感情もわるい感情も自分の中に引き受けること


★母なるものに依存した状態
怒りや憎しみや、抑うつ、不安、わがままといった破壊衝動(=わるい感情)を母なるものにぶつける。そして自分にはいい感情だけしかないと思う。赤子の状態。成人しても、過去に受けた暴力、破壊衝動を受け入れられず、現在の外界(≒他者)へ投影することで他者を「わるい感情」のひとにして、自らを「いい感情」の人とする。
この状態を脱するには→「今、ここで」の本人の感情に注意を向けさせることが必要。過去でも他人でもない!


幼少期に、人は、母なるものから ゆとり くつろぎ 甘えを享受する
そして母なるものの「コンテイニング(受容)する能力」を自らに内在させるようになる
それは破壊衝動を、言語を介した夢想によって別の取り入れやすい安全な形に変え(メタファーし)自ら内界に保持する心的空間を持つことができる能力
母なるものとは母親に限らない。近所の人々や自然環境、ペットなど、「乳児に安心できる心的空間をもたらすものすべて」である。


超自我(自我を罰し律するもの)、「せねばならない」とする思考 権力的指向が強い環境で育つと、基本的信頼が形成されにくい。
例えば夏目漱石は幼い頃、養子に出されては戻される体験をして根深い人間不信を形成。
三島は乳児期に母から離されて病的人格の祖母に育てられた。川端は幼くして両親を失い祖父に育てられ、思春期に天涯孤独となった。
幼少期の過酷な対人環境が創作(≒一種の妄想形成)の原動力となったとすれば、それは自己治癒の試みでもある。
小説という形の言語を介した夢想によって過酷な過去を受け入れようとする試み。しかしそれが「基本的信頼」に至らず、ついに失敗して自殺に至るケースがありうる。

他人の欠点は自分の中にある欠点の反映。

写し鏡である他人の中に欠点を見つけるということは、その欠点の素地が自分の中にもあるということ。自分の欠点を隠すために他人の欠点に注目してしまうことなのかもしれない。人の目の中のゴミを指摘する前に自分の目の中のゴミをとるべき。失敗をすべて他人のせいにしない。周囲の助言に耳を貸し、正しいことは受け入れる
 もしそれをせずに、他人がすべて悪い、自分はすべて正しいとして、よい部分とわるい部分を切り離す心理機制を「分裂splitting」という。図にすると


よい自己   よい対象(母) 

     分裂(子供の頃の親との関係 ≒ 現在の人間関係)
わるい自己  わるい対象(母)


「分裂splitting」機制がはたらいた状態は、子供の感性のままの状態。 
こどもと母親は一体、混沌 原始的な状態、一種の退行状態。  
この防衛機制によって対象への理想化や両価性が生じる

わるい部分、あるいはわるい部分を切り離そうとする心の動きの中には、フロイトのいう「死の本能」(人は誰でも何もない状態を求め破壊へ向かう衝動を内在する)、トムヨークのいう「ダークパワー」(知らないうちに人にとりつき争いへ導く力)が含まれる。

自己にも対象(他人や世界全体)にも、わるい部分はあって当たり前。よい部分もわるい部分も含めて統一された自己となるはずだが・・・・・

自己から「分裂」させた悪い部分を「投影性同一視」によって他者(対象)へ押し付ける

誰かに悪い部分を押し付けるのではなく、自分の中で二つの部分を統合するためには、自立するための努力が必要。
自立するための努力=「自己活性化」を起こせば、安全な状態からの「分離ストレス」が生じる。つまり「見捨てられ抑うつ」が生じる。それに耐えられなければ退行した状態であり続けることになる



≪投影性同一視とは≫
わるい感情を自分ではなく他者が感じている感情とする(その他者とは恋人や親友など近しい人が多い)。そして自分がわるい感情を持っている(と自分が思いこむ)他者の怒りをあやす。そしてあやされた他者のわるい感情を自分のもとに再び戻すことで、自分の中のわるい感情をあやすことができる。つまりわるい苦痛な感情を自分では感じずに他者のものとして処理してしまう。
もしも、他者が本当に怒ってしまうと(濡れ衣感情という)、いままで理想化していたその相手を急に悪人としてこきおろす。
そして「自分はいいひとで被害者。相手はわるいひとで加害者、自分には合わなかった」と決め付け攻撃する。しかし結局はまた新しい誰かと同じ事を繰り返す。これが境界性パーソナリティ障害の病理の中核であり、実はダークパワーそのものかもしれない


具体例 (実際には一人の人間の中で両方のパターンが混在する)
パターン1 境界性パーソナリティ近縁
私はいつもあなたを喜ばせたい(自分はよい部分しかない) 
でもわたしはきっとあなたを不幸にしてしまう(わるい部分を相手に押し付ける)
恋人が受け止めてくれている間は投影性同一視が機能するが、恋人が苛苛してくると、「二人は合わなかった」と急に別れを切り出す


パターン2 統合失調質パーソナリティ近縁
相手に惹かれていながら、同時に現実の人間関係が怖い。自分の中に恋愛感情を受け止めきれない。心的容器が脆弱
そのため相手との関係を求めていながら、いざ関係が深まりそうになると拒否する。
すると相手が苛苛してくる。すると「二人は合わなかった」と急に別れを切り出す