ひとが狂気に陥らず生き続けるには

「分裂と投影性同一視」に陥らないためには、世界に対する「基本的信頼」が必要。
基本的信頼とは「他者」、そして「未知」なる「現実」への信頼。それがなければこの世界はひどく脅威的なものに映る。
「基本的信頼」は乳幼児期の母なるものからの分離体験によって得られる。


☆母なるものからの分離 
いい感情もわるい感情も自分の中に引き受けること


★母なるものに依存した状態
怒りや憎しみや、抑うつ、不安、わがままといった破壊衝動(=わるい感情)を母なるものにぶつける。そして自分にはいい感情だけしかないと思う。赤子の状態。成人しても、過去に受けた暴力、破壊衝動を受け入れられず、現在の外界(≒他者)へ投影することで他者を「わるい感情」のひとにして、自らを「いい感情」の人とする。
この状態を脱するには→「今、ここで」の本人の感情に注意を向けさせることが必要。過去でも他人でもない!


幼少期に、人は、母なるものから ゆとり くつろぎ 甘えを享受する
そして母なるものの「コンテイニング(受容)する能力」を自らに内在させるようになる
それは破壊衝動を、言語を介した夢想によって別の取り入れやすい安全な形に変え(メタファーし)自ら内界に保持する心的空間を持つことができる能力
母なるものとは母親に限らない。近所の人々や自然環境、ペットなど、「乳児に安心できる心的空間をもたらすものすべて」である。


超自我(自我を罰し律するもの)、「せねばならない」とする思考 権力的指向が強い環境で育つと、基本的信頼が形成されにくい。
例えば夏目漱石は幼い頃、養子に出されては戻される体験をして根深い人間不信を形成。
三島は乳児期に母から離されて病的人格の祖母に育てられた。川端は幼くして両親を失い祖父に育てられ、思春期に天涯孤独となった。
幼少期の過酷な対人環境が創作(≒一種の妄想形成)の原動力となったとすれば、それは自己治癒の試みでもある。
小説という形の言語を介した夢想によって過酷な過去を受け入れようとする試み。しかしそれが「基本的信頼」に至らず、ついに失敗して自殺に至るケースがありうる。