例えば絵を描くとき。

どうしょうもなく表現したいことがあって わけがわからないうちに無意識に描きあげたものは 下手でもどことなく味がある。しかし味の出し方がわかった後にその味をシスティマティックに再現しようとすると、たしかに丁寧でよりキレイな絵になるけどなぜか前より劣ったものになる。 デビュー作がすごくよかった作家が時に二作目で失敗する、失敗ではなくてもどこか物足りないのは、そういうことかもしれない。

 プリンスにとっての情熱や音楽性のピークが「サインオブタイムズ」を生み出した80年代にあるように。レディオヘッドのピークは「KIDA」「アムニージアック」にあるかもしれない。 プリンスの90年代以降の大量の子供たち(音楽)も、レディオヘッドの「hail to the thief」も、基本的には今までの実験の成果を踏まえた作品にすぎない。芸術的にはすぐれているけどわくわくしない。あくまで個人的な意見だ。

鉄腕アトムのリメイク、浦沢直樹の漫画『PLUTO』で。 アトムの生みの親、天馬博士がこんな話をする。
「私は完全なロボットをつくったことがある。 世界の人口60億と同じ数の性格をプログラミングした。そのロボットはなんにでもなれる。 どうなったか? そのロボットは目覚めなかった。 いや、自らの意思で目覚めなかったと言うべきか 目覚めさせる方法は分かっていた。 60億の混沌をひとつの方向にまとめればいい。 怒り、悲しみ、憎しみ、偏った感情を注入することで。」

統合失調症はまさに様々な感情、思考が入り混じった状態だ。 誰もが知らんふりしている世界の救いようのない現実に直面することでもある。
その混乱をあっさり解決しようと思えばどうすればいいかある組織、ある個人、なんでもいい、形のある何かを敵として憎めばいい。そして感情をひとつの方向にまとめ、暴力を振るう瞬間、混乱から解放される。
それが本当の解決か。
混沌を混沌のままですべて受け入れられる人がいたら、聖人と呼ばれるかもしれない。