行動化に対して

行動化といっても、こちらが勝手に名前をつけているだけで、患者のほうは、問題行動をしても、別に行動化だと思っていないわけです。
まず、これは行動化だと、問題に標識します。治療的に検討しなきゃいけないと。
ある行動、何かあるとすぐ怒ってしまうとか、あるいは万引きとかになればはっきりしますけど、これは問題なんだ、これについて治療的に検討しなきゃいけない、というふうに、ある一塊の行動に問題という標識を立てる。それによってその行動を多少なりとも自我異和化します。
 患者が問題行動(自傷、暴力など)をしていても、治療者に言わない場合があります。そういう場合は、「あなたのような状態の人にはこういうことが起こりがちである。ひょっとしてあなたにもそういうことが起きていないか心配している」とストレートにいいます。第3者、例えば母親から実はリストカットしていると聞いて、患者にそれを突きつけてはいけない。一般論としてこういうことがありうるといふうに言います。

その次にその行動化の意味を考えるんですけど、行動化にはある種の適応的な側面があります。いろいろな行動化には例えば空虚感を一時なりともやわらげるとか、慢性的な離人感から抜け出すとか、リストカットはしばしばそうですね、手首を切った瞬間だけ多少生き生きする。それから一層破壊的になるのを防ぐというメリットがある。例えばお母さんを殴る代わりにガラスを割るとか。
特定のサブカルチャーの中で承認を得られるというのも大きいです。乱暴なオートバイの運転をすると暴走族内では評価されるでしょう。あるいは例えネガティブなものであっても周囲の関心を引く。全く無関心に放っておかれるより、ガラスを割れば「どうしたんだ、おまえ」という風に親がやってくるとか、そういう「行動化のもっているプラスの側面」というか、効用をまず治療者がしっかりつかんでおく必要があります。

ほとんどの行動化は発生的には適応的な行動であることが多いんです。例えば赤ちゃんがお母さんがなかなかお乳をくれないので床にひっくり返ってバタバタする。するとお母さんがすぐ飛んできてお乳をくれる。だから「床にひっくり返ってバタバタする」というのは赤ちゃんにとって極めて自然な適応的な行動です。しかし20歳すぎた人が、母親がわがままをきいてくれないから床にひっくり返ってバタバタして、ついでにガラスも割ったりするとこれは問題行動だということになります。しかし発生的にいうと適応的な行動です。そういう適応的な面を治療者が評価したということが患者に伝わらないといけない。その上で、バタバタしてももうお母さんはとんでこないし、かえって嫌われて自分も傷つくことを理解してもらう。
要するに行動化の適応的な側面を評価した上で、しかしながら、その行動化がもたらしているマイナス面を患者に直視してもらうように持って行くわけです。そしてちゃんと止める、まずは言葉で「そんなことはしてはダメ」とはっきり言います。
言葉は無力だと思ってちゃんと言ってない治療者が多いんですが、存外聞いてくれることがけっこうあるんですね。ちゃんと言わないといけない。言葉ではっきり制止するということですね。
もう一つ必要なことは、感情と行動をはっきり区別することです。
精神療法の要点の一つは、まず感情に賛成し、場合によって行動に反対することです。例えばお母さんが憎らしくてぶん殴る、あるいは刃物を出すということがありますね。そんなとき患者の気持ちを聞くと、本当に母親を殺したいような気持ちだと言います。
そうすると、「殺したい、そこまではなるほど、あなたの話も全然わからんわけじゃない。そういう気持ちになることもあるだろう。しかし現実に包丁を突き刺すということとは全然違う」と告げます。感情に賛成し行動に反対する、これは当たり前のことで、要するに患者の内界と外界を区別してやるということなんです。
多くの母親はそういうとき「殺したいとは、なんておそろしい子なの」というふうに反応しますから内界で殺したいと思うこともできなくなっちゃう、あるいは仮にそういうふうに思うと自分は大変おそろしい子どもだということになってよけい混乱します。だからほとんどすべての感情には賛成し、行動と感情は別だということを言った上で行動に反対する。市橋秀夫の論文で、境界例の入院治療で看護師さんには次の3つを言ってもらうと書いています。「だめ」「がまん」「だいじょうぶ」の3つ。かなり大胆な論文なんですが、要するに患者が例えば夜中にきて薬をくれと言っても、もう薬はだめ、明日の朝までがまんしなさい、と言う。「ものすごく苦しくなったらどうしよう」といわれたら「あなたはちゃんと乗り越えられる、だいじょうぶ」とこの3つで行けというわけですね。「だめ」というのは限界設定ということです。「がまん」、これはいろいろな感情を心の中に入れておくという、コンテインということですね。内界保持ということです。そして「だいじょうぶ」と安心感を保証する。その繰り返しを経て、本人が成長していくのを見守っていきます。