境界性パーソナリティ障害 (市橋秀夫の論文を改変)

はじめに
境界性パーソナリティを疑うならば、不用意に主訴に対する薬物療法を開始する前に、30〜45分程度の診断面接を数回行う。親や伴侶から情報を得る必要のある場合には、本人の承諾を得る。

 診断面接で語られる情報が常に自己開示するものであると考えてはならない。むしろ、それを避けるほうが多い。患者自身、意識化していない、しかし観察者には手にとるようにわかる問題を把握する。そして、その問題を言葉によって定義して、患者に伝える。患者が無理なく同意する問題が潜在性(真)の主訴であるということになる。治療は真の主訴に連なって理解される精神病理に対するものである。

 治療契約について。診断名を告げる必要は必ずしもない。医師・患者間に交わされる合意的真実を共有して治療契約する。内容としては、面接時間、頻度、料金、キャンセルの取り扱い、プライバシーの守秘義務、限界設定を含む。
また治療効果の比較研究は行われていないのでわからないことや予後も説明する。いくつかの長期追跡研究はあるものの、その結果の通りになるか否かは、患者本人の意志と努力による部分も少なくないことも言い添える。

 たとえば診断面接によって、「自分で本当に納得のゆく自分になりたいと願っているが、自分一人ではそうなれないと思いこみ、絶望し、望みを持つことさえできないでいる」ことが合意的真実となったならば、本当に納得できる自分になっていくために、週1〜2回の個人精神療法を勧めてみる。
 治療者は受容的、共感的であることが最も問われる。しかしこのような態度を会得するのは、たやすいことではない。ことに境界型の患者は治療者をmanipulate(操作)する。これに乗せられて患者に迎合することを受容的、共感的であると勘違いすることは多いが、そうすることによって患者は一層退行して、問題行動を引き起こす。たとえば受容的・共感的であるとは、患者が痛いと訴えたときに、痛いんですねと返すことであって、痛みを取り除くことではない。また、患者が泣き暮れているときに、泣きたいんですねと返すのは受容的・共感的であるが、その涙に誘われて救世主役を引き受けることは、患者の前に全能の神として現れることではあっても、支持的・共感的ではない。