以下はブックレビュー。

『もうホントこれ以上あたしに何か聞かないで下さい、人がそんなに大切だとはっきり感じたこともない、愛情なんてその感覚が実感としてない、あたしは子どものころから他人とうまく接する方法がわからないのだ。
あたしは何も考えていないのに「何を考えているかわからない」などとよく人に言われた。言いたいことなんて何もない、ずっと一緒にいてほしいと思うと同時に放っておいてもらいたい、その矛盾にあたし自身もずいぶん苦しめられた。変化など望んでいない、悲しくて泣くとか、うれしくて笑うとか、いろいろな感情を出すのがとてもおっくう。
うれしいと思ってもそんな簡単に笑えるもんなんだろうか、みんなは本当におかしくて笑っているんだろうか、泣くこともそうだ、あたしは感情と涙がうまくつながらない。』(森下くるみ / すべては『裸になる』から始まって)



このへんの描写はすうっと胸にはいる。
目当てで行く人も多いんだろう。「森下くるみ」という名前を最初に見たのはクラブイベントのフライヤー。DJとして、確か新宿リキッドルームかロフトあたりだったと思う。たぶん。それから何年もたって、本業は『AV女優である』彼女の自伝本が出ているのを見た。表紙の本人の似顔絵が目に止まった。パラパラめくってこれはロックンロールだと思った。10年前に、本業は『ロックミュージシャンである』尾崎豊の短編集を手にとったときと同じだ。

乱暴な解釈か、そうでもないよ、要はその人の生身を本気で理解できるか。


銀杏BOYZ峯田和伸は「死にたい」という手紙をファンからもらうってライブでMCする。森下くるみは「死にたい」というメールをファンからもらうと書いている。このへんがリンクする。




ミドリがメジャーデビューやフジロック決まった頃。名古屋でのライブを観て何か違和感を感じた。「これが本当のロックじゃ−!」と叫びながら機材に登り、フロアに飛び降りてのたうちまわる後藤まりこは、確かにかっこよかったけど同時に、どこか危うかった。
以前イベントにミドリを呼んだことがあるCRJ-Cのスタッフが「今のほうが迫力あるけどなぜか昔のほうがいい気がする」。ともらした。
JONNYのみおさんやレッサーホース/マイカー共済の野村君は「パンツ見えたか、パンツ見えたか」と、とりあえずはしゃいでいた。その後も彼女らは名古屋で何度もライブしていた。

あるとき、つしまみれの話からミドリの話になって、カマキリバズノイズの田中君が
「客席に落ちて暴れまわるから、パンツぬがされそうになったらしいぜ」
と言った(真実かどうかは知らない)。ふざけんな、パンツ見えたかってふざけて言ってるのはともかく、それを手を出すなんて、たぶんそんなことを怒鳴った。「ああ、(レッサーの)野村くらいのスケベがちょうどええんや」と田中君は目をパチパチさせた。


ふりかえれば、ミドリのステージに感じた違和感は「その手」だったかもしれない。
ミドリがメジャーでやるということは剥き出しのロックを大衆にさらけだす。いわば最大規模のストリップだ。(同じようなことをBUMPの藤原君が言っていた気がするが)
彼女を裸にしようと伸ばされた手は、メジャー会社のミドリを売り出すための手でもあるし、もちろん彼女達を好奇の目でみやる大衆だし、その「手」は私たちすべての心の中にある。それはある意味、善悪を超越した流れだ。
 差し伸ばされる手は、トムヨークがRADIOHEADの曲で表現するダークパワー、ハリウッドが若い俳優の生き血をすするアレで、同時に村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」、綿谷昇が「人を完膚なきまでに損なわせる」力。




世の中には2種類の人間が居る。賢い人間と素直な人間だ。賢い人間は誰かがつくった規律が全てだと思っている。だが俺はそんなもの屁とも思っちゃいない(エディ・リー / ダイングブリード 注 BECK作中に登場するNIRVANAスマパンパールジャムを合わせたような架空のロックバンド)』
残念ながら、このスタンスは死と隣り合わせ。
パールジャム鶴舞名古屋市公会堂で観たことがある。ビルゲイツが2階席を買い占めて観戦していた日。エディヴェダーは通訳に話させる、「この世界には排除すべき3人が居ます。アメリカのブッシュ、北朝鮮の〜、イラクの〜」、ブッシュのお面をステージに出して首を刈るパフォーマンスを真顔でする。「みんなで声を出せば世界は変えられるはずです」。その日のライブ盤は手元にある。(パールジャムはツアー全日程のライブ盤をリリースしている)





森下くるみの本に、話をもどす。
幼い頃、暴君である父親を殺してしまおうと、姉弟で話し合っていた、ある日、ついに父親を家から追い出した、生まれて一番うれしかった! そんな記述がある。うまく言えないがこの部分がとても印象に残っている。後半、父と和解のようなものをするくだりがある、その部分もまた素晴らしい表現だ。それらは淡々と描かれている。わざとらしくドラマチックよりよほどリアルだ。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を挙げるまでもなく、文学において「父殺し」あるいは「エディプスコンプレックス」は主要なテーマ。だけど彼女ほど的確に表現している作家は少ないと思う。

伊坂幸太郎が今年の本屋大賞を受賞した「ゴールデンスランバー」、主人公青柳雅春は首相殺しの汚名を着せられ逃げ回る、青柳雅春の自宅にマスコミがつめかける、青柳雅春の父親は「ちゃっちゃと逃げろ、こっちは大丈夫だから」とTVに向かって言い放つ。
オールライト、誰もが息子を疑う時、父親がそう言ってやらなくて誰が言うのか。息子を助けるために実際にできることはないかもしれない、でもな、本気で「大丈夫だ」といえるかどうか。




以降は少し長くなるが、ゴールデンスランバーの引用。青柳雅春の父親の言葉とそれを聞く青柳雅春。


「自分の仕事が他人の人生を台無しにするかもしれねえんだったら、覚悟はいるんだよ。バスの運転手も、ビルの設計士も、料理人もな、みんな最善の注意を払ってやってんだよ、なぜなら他人の人生を背負ってるからだ。覚悟を持てよ」(マスコミに対してそう言い、次にTVカメラに対して)
「おい、雅春。おまえがなかなか出てこねえから、面倒なことになってるぞ。」「いいか、大変、面倒なことになっております。」となぜか、丁寧に言い直した。
「面倒なことになっておりますかあ。」青柳雅春はテレビのこちら側で苦笑する。
「まあ、でもな」青柳雅春の父が表情を緩める。「こっちはどうにかするから。母さんもそれなりに元気だ。お前もどうにか頑張れや。」
犯人の逃亡を擁護するような発言に、油が注がれた焚き火よろしく、リポーターたちが大騒ぎをはじめ、マイクがまた振り回された。
それでも青柳雅春の父は動じることもなく、「まあ」と続ける。「雅春、ちゃっちゃと逃げろ。」
青柳雅春は胸のあたりから喉元に、重い空気のかたまりがこみあげてくるのを感じた。そのまま気を抜くと、何が起きるのかは想像できた。喉にせり上がった思いが、目を震わせ、そして涙が出る。出た涙はすぐには止まらず、自分は嗚咽まじりに泣きじゃくるに決まっていた。(伊坂幸太郎 / ゴールデンスランバー




再び、長くなるけど、森下くるみ / すべては『裸になる』から始まって、から引用。


家族っていったい何? というのが、ながらくあたしの中で謎になっていたから。
今の私の父との関係も、変わるのならば変えてみたいと思った。
トラウマなんてたいそうなものはもっていない。だけどちゃんと父と対峙しなければ、
自分の問題が解決しない。

帰り際、父が見送ってくれたことがあった。
見送りされるだけでも気持ち悪いくらいの親切さだ。去り際、改札をくぐるあたしに満面の笑みで手を振り
「気をつけて帰れよ、じゃあまたな。ありがとうなあ!」
はたから見たら何の変哲もない光景、でもあたしにはショックだった。子どものころにほめられたことなんか一度もないし、やさしい言葉をかけられた記憶もない。罵声か鉄拳しか食らったことはない。その父に気をつけてと言われたのだ。
あの父が子どもにそんな言葉を使うなんて。
初めて見た、その父の素直さがしんじられないくらいうれしかった。
森下くるみ / すべては『裸になる』から始まって)





一緒に買った村上春樹の絵本、「ふしぎな図書館」を読む。

<さあ、いまのうちににげて>とむくどりが言った。でもそれは少女の声だった。
「君はどうするんだい」とぼくは少女であるむくどりにたずねた。
<私のことは気にしないで、きっと後から行くから。さあ急いで、でないとあなたは永遠に失われてしまう>
僕は言われたとおりにした。羊男の手をとって、へやから飛び出した。
村上春樹 / ふしぎな図書館)








「姉さんは十代の終わり頃、当ても無く海外を放浪しててね。あの人いわく自由やら幸福やらを見つける旅だったらしいけど、僕には逃避にしか思えなかったね。だって結局姉さんは帰ってきたんだ。つまりその程度の覚悟だったってことだよ。全てを捨て去る覚悟、その対価として与えられるのが真の自由だと思うんだよ。でも僕はその自由の先に幸福があるなんて思えない。 なぜなら幸せとはその瞬間であって、恒久的なものでは決して無いから」(おやすみプンプン/浅野いにお

ねえ、時間は膨張するの?  (羊をめぐる冒険 / 村上春樹

この街の完全さは「心をなくす」ことで成立しているんだ。心をなくすことでそれぞれの存在を永遠にひきのばされた時間の中にはめこんでいるんだ。だから誰も年老いないし死なない。」  (世界の終わりとハードボイルドワンダーランド / 村上春樹

「その代償は?」
「それを言葉で説明することはできない。それはあらゆるものを飲み込むるつぼなんだ。気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪なんだ。それに身体を埋めればすべてが消える。意識も価値観も感情も苦痛も、みんな消える。宇宙の一点にあらゆる生命が誕生した時のダイナミズムに近いものだよ。」
「でも君はそれを拒否したんだね。」
「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさも辛さも好きだ。夏の光や風の匂いやせみの声や、そんなものが好きなんだ。どうしょうもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・」(羊をめぐる冒険 / 村上春樹
「いずれにせよ全ての激しい戦いは想像力の中で行われました。それこそが僕らの戦場です。僕らはそこで勝ち、そして敗れます。もちろん僕らは限りある存在ですし結局はみな敗れ去ります。 でもアーネストヘミングウェイが看過したように僕らの人生はその勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。」(かえるくん、東京を救う / 村上春樹


「君は世界がよくなっていくと信じているかい?」
「何がよくて何がわるいなんて誰にわかるんだ?」
「まったく、もし一般論の国というものがあったら君は王様になれるよ」 (羊をめぐる冒険 / 村上春樹


「本当に私を憎まない?」
「もちろん」と僕は言った。「憎んだりしない。そんなことあるわけない。この不確実な世界にあって、それだけは確信をもって言える」
「絶対に?」
「絶対に。2500%ありえない」
「それが聴きたかったの」
僕は肯いた。(ダンスダンスダンス / 村上春樹







「日差しがぼかぼかして気持ちいい日です」、そう言われてうなずき、
「この世界はクズで何もかもが私をダメにする」、そう言われてもうなずく。
この作品はここで完成する。